3-06 集団心理の扱い方 |
「日本人に唯一造れない船はリーダーシップ」というジョークがあります。 日本では皇室制度が、海外の国々の多くでは宗教があり、権威の最上位を担ってきました。 これからは集団心理に飲み込まれず、意識で捉え自覚して制御しましょう。 人には本能として以下の性質が備わっています。 ・群れを作る群棲本能 ・集団内で序列の上位になろうとする権勢本能(優越欲求) ・強制力を得るため集団に同調して埋没 ・隠れて敵対者の標的になりにくくする 権・組織としての強制力 威・相手を恐れさせて従わせる性質 現在の日本の大部分は権威第一思想によって動かされています。言語化して主義にしている人の比率は少ないと思われます。 権威主義・権威を第一とする価値観(基準)。権威者におもねり、自らが権威者となれば暴虐。 (自ら動かせる権威が小さいときは強い方につく事大の態度、自らが強ければ威張る自大の態度、日和見) 態度はそのときの強弱によって偉そうにしたり遜ったりして変節するが、内面の考え方は変節しない。 集団主義でも多数主義でもなく権威主義です。権威主義者は多数の弱者や権威を感じない対象には従いません。 強制力には屈さねばならない状況に追い込まれても、心の中まで権威者に同調しないようにしましょう。 儒教の権威主義的な部分が日本の権力者に採用されて以来長年培われてきたためか、 日本語自体に権威思想が含まれています。 「空気を読め」に込められた意図は「何も考えず今の雰囲気に流されろ」です。 「協調性を持て」に込められた意図は「何も考えず支配されるか死ね」です。 独り善がり・独善・自分だけが正しいと思い込むこと 独断・他人の意見を聞かずに自分だけの考えで決めたり判断を下したりすること 独り決め・自分勝手な思い込み 独断専行・自分ひとりの考えで勝手気ままに物事を行うこと ・・・単独で決めること自体に嫌悪の印象を持たされるような定義です。 単独でも多数の観点を持つことは可能です。多数か少数か或いは勝手かそうでないかではなく、正不当で判断しましょう。 誤った常識・デファクトスタンダード たとえ多くの人が「1+1=1」と見なしていても、それが矛盾していないとはなりません。 誰が言っても各記号と数字を厳格に定義した「1+1=2」は変わりません。どのような立場であっても同じです。 多数決は不当です。少数であろうが多数であろうが、正不当の基準を用いて「正当決」にしましょう。 「人衆ければ即ち狼を食らい、狼衆ければ即ち人を食らう」という言葉があります。 それとも、狼が互いを食い合うか、狼と豚に分かれて狼に豚が食われ続けるか、 そうさせないために、人間を増やしましょう。 反骨・権威に妄従せず自分の考えを貫き通す心⇔付和雷同 スノビズム・上流模倣志向 ⇔ルサンチマン・弱者が自己肯定しようとするあまりに価値のあるものまで否定すること 力の強弱だけで従ったり反発したりしないようにします。それが正当なら従い、それが不当なら正当に逆らうようにしましょう。 鶏口となるも牛後となるなかれ(ガキ大将、お山の大将) ⇔寄らば大樹の陰・長い物には巻かれろ・権力者には従え 場合によっては牛先となることも鶏尻となることもありますが、その条件単独だけで正不当は判断不可能です。 納得する根拠(よりどころ)を「昔の偉い人が言ったから」「有名だから」 「みんなが言っているから」「金持ちや権力がある、偉い人が言っているから」などにせず、 「自分も他の皆も利益を得やすくなるから」にしてもらいます。 鵜呑み⇔取り付くしまもない 何も考えず権威に流されるのではなく、対象の正不当について自ら考えて評価してから、協力か反抗か傍観かなどを判断しましょう。 皆が支配欲を持っていたら、支配者が別人に挿げ変わっても構図は変わりません。 現在の支配者が持つ権力は不当規範によって支えられているため、 正当規範の普及によって善人が支配者の強制力を上回ることが可能となります。 ただし、成功するか否かは、やってみなければわかりません。 |
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