2-16 刑事罰 |
「刑は刑無きに期す・刑罰自体が不要になることを目的とする」という言葉があります。 その目的を達成するには、倫理教育が必須です。正当規範が普及すれば、犯罪の多くを予防可能です。 懲罰は抑止力の一部にもなりますが、その効果は限定的です。 犯罪が加害者にとって不利益となって、犯罪を償う方が利益となる制度を設けるのが正当です。 制度だけでなく、各自がそうなるように働きかけていくことが重要です。 応報(目的の)刑について、「被害者への」償いまたは贖いになるように しなければ、単なる懲罰になってしまいます。 懲らしめる(⇔味を占める)といっても、当人に知性が無いままでは そうはなりません。 単に苦痛を与えるだけでは、懲らしめというには不足です。 罪が死刑に値するものである場合は、釣り合いを取り切れなくとも、 被害者へ与えた不利益に可能な限り近付ける贖いの執行が正当です。 「生きて償え」という論に対して、死んで贖うしかない場合もあります。それも、ただ死ぬだけでは不足な場合もあります。 「苦しんで死ぬ」や、「長く苦しんで死ぬ」などの贖いも、罪の度合いによっては科すのが正当です。 死刑及び酷刑で贖わなければ平等に近付けることが不可能な犯罪を犯してしまった人は、もう赦し様がありません。 「死刑で殺されたくないなら不当に殺すな」と教育することで抑止力の一つとします。 「殺人を犯した理由が死刑になりたいからやった」なら、単なる死刑よりも苦しませる酷刑を課して平等に近付けるようにします。 その類の犯罪者には「死にたくないなら殺すな」だけでは抑止力として不足です。 他人を思い切り苦しめて殺した場合と、他人をただ殺した場合に対する量刑が同じ死刑というのは不当です。なぶり殺しや焼き殺すなど、 苦痛が大きい殺害方法の場合は死刑だけでは不足です。 刑罰には、罪状に応じてもっと幅を持たせるのが正当です。そうでなければ、平等化困難です。 死刑にしても、安楽死や酷刑など、幅を持たせます。 死刑や酷刑で死に至らしめるまでの期間を長期にし過ぎないように注意します。 理由は、脱獄や恩赦による害の危険を少なくするためです。 犯罪を未然に防止すべく素早く文書を広め、対策を行います。 刑そのものを廃するのではなく、実際に適用する必要を無くしていきます。 「なぜ人を殺してはならないか」に対して述べます。 まず、問いの立て方(殺してはならないという前提)で誘導されています。 この類の話題は決着を付けないで終わらせられることが多いため、うんざりしている人が多いと思われます。 いつでもどこでも殺人を禁じる理由を問うのではなく、どのような場合に人を殺すか殺さないかを問うて答えるようにします。 これからは殺すか否かを正不当で判断しましょう。平等化のための死刑は正当です。 正当防衛で相手を殺害しなければ自分や他人を守れないという状況も有り得ます。 冤罪を完全に無くすことが不可能であることと同じく、 判断を誤って実罪を看過したり免罪したり罰を不当に軽くしたりしてしまうことにも注意しましょう。 「冤罪を完全に無くすことは不可能」という理由で「死刑制度自体を設けない」のは不当です。 少なくとも冤罪の疑いがほぼ無い死刑に値する犯罪について、死刑を下回る刑罰を用いるのは不当と言い切れます。 仮に死刑制度を廃止するなら、「死刑にされた方がマシと思えるような過酷な刑」を設けるのが正当です。 「冤罪で死刑になったら埋め合わせ不可能」といいますが、 真犯人が別に居た場合はその分の罪(冤罪で他者を死に追いやった罪)も加重し、 真犯人が別に居なくても故意に冤罪に追い込んだ疑いが強いなら、関係者にその罪を問うことで冤罪の抑止力の一つとします。 故意の冤罪(犯罪の転嫁や捏造)では、捜査・検察側の犯罪を問うようにします。 死刑制度の規定や運用について論じるのが正当で、制度自体を廃したり形骸化させるのは不当です。 |
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