2-12 倫理教育への諾否

知性化拒否・正不当について無知であろうとすること・倫理についての知識の受け入れを拒否すること


倫理を知る機会に恵まれた知性化以前の人には、「知性化受容⇔知性化拒否」という選択肢があります。


「倫理を知ろうとしなかったことで起こる犯罪」の予防のため、一刻も早い知性の獲得を求めます。


倫理を知らなくとも、知性化を拒否するのは背徳(道徳に背く)だと判断可能なはずです。 倫理を知りたくないということは、「これから先も知らない(知ろうとしない)ままで他人を苦しめたり死なせたりしたい。」 ということです。誰一人として、「私には関係ない」とはなりません。


知性化を拒否すると、知性があった場合には防げた全ての犯罪を償う(または贖う)義務が生じます。 もう「倫理を知りようが無かったから」という免罪符は通じません。私自身も知性化を受け容れました。


「倫理を知る機会が無かったから、これまでのことは全て不可抗力」として自らの犯罪を償う義務を逃れようとしても、 実際には道徳を知る機会が多いため「知ることが不可能な無知」にはなりにくいです。 倫理は道徳の延長上にあります。倫理が無かった昔にも道徳はあり、 明確な知性が無いというだけで償い及び贖いから逃れる理由にはならないため、ご注意願います。


童心主義(無知で純粋な状態を賛美)は不当です。無知では、知らずに他者を傷つけたり 自分を守ることも出来なかったりする危険が高まります。


臭いものにフタ、事なかれ主義


知性化拒否の心理は、都合の悪いことを意識外へ追いやろうとする逃避欲求です。 形成過程は、他人による心理操作、不可抗力を偽装して犯罪への謝罪・補償を逃れた経験、無知を偽装して ゴネ得した経験、面倒な思考を行わなくてもやってこれたという経験による自信、などです。


無知を認めようとしないまたは無知であろうとする姿勢は、無知を認めて正当に知識を得ようとする姿勢に比べ、 誰にとっても害になり易いです。


知らないままで居ようとする自由が不当となる例を示します。

交通法規は知らないままで守るのは困難です。そして、わざと知らせないままでいるのは犯罪です。 誰からも教わらずに読み書き計算の能力を得ることも、多くの人には不可能です。


この世のあらゆる人間関係から生じる利害へ意識をつなげる基本情報が倫理であって、 それを正当規範として伝えるのが倫理教育です。 私は、不当に選択肢を知らないままや考えないままで居ようとしないし、他の人にもさせたくありません。


「知性化拒否ではない。ちょっと待って欲しい」と後回しにするのは、なるべく避けてください。 「保留(決めないでおくこと)を決めた」なら、次に期限や再開の条件を決めましょう。 「期限を決めるのを保留」として無制限に期間を引き延ばそうとすれば、知性化拒否となります。



2-11 礼2-13 教育案
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