出来上がってから年月が経ってその成立過程や採用理由が顧みられなくなって来たために、
実質を失い役立てにくくなった形式が多くなっています。
更には、形式という言葉自体が形骸と同義にされかかっています。
礼とは、相手へ自らの意思を伝えるための振る舞いを形式化したものです。
礼節・礼儀と節度
節度・他者の尊厳を不当に損なわないようにする限度
礼儀作法(礼法、マナー、礼式、社交辞令、エチケット)
礼儀・相手に対する敬意(尊厳を認める)の表し方
作法・形式的な言葉や動作の決まり
行儀・日常の立ったり座ったりする態度や身のこなし⇔不行儀
儀礼・慣習に従った儀式(冠婚葬祭、催し物)
礼も過ぐれば無礼になる・度を越した礼儀は返って無礼
礼儀過ぐれば諂(へつら)いとなる・度を越した礼儀は媚び、ごますり
虚礼・敬意の無い作法⇔実礼・誠心誠意
通り一遍・形式だけで心がこもっていない
慇懃無礼・慇懃に見せかけた無礼
虚礼であることを見せ付けるのが虚礼で、誰にも虚礼と見なされないように注意すれば、実礼と見なして問題ありません。
これ以降の礼典(礼儀に関する決まりを記した書物)には、礼儀作法という手段だけでなく、
その目的についても書いておくようにするのが正当です。
礼の目的を再認識し、形式に実質を伴わせて虚礼を実礼に戻します。
日本に於ける礼の成文化は中国の礼記(らいき)から引用された十七条憲法の第一条の「和を以って貴しと為す」からで、
最も古い記述は論語の「礼の用は和を貴しと為す」らしいです。
昔の礼は「神仏への感謝・序列の確認・共同体(共に生活していく仲間)意識の確認・序列感情の調整」が目的だったと思われます。
礼の目的を「昔から行われて来たから、何となく今もやっている」というものから
上記(神仏への感謝というのは、共同体意識の確認に含めます)へと再設定すれば、最も役立てることが可能です。
序列感情が無い対象には、感謝や謝罪は不要です。ただし、その対象に深く関わる人を不当なまでに
冒涜しないようにする配慮は要ります。
誰に対しても節度(他者の尊厳を不当に損なわないようにする限度)を持って人に接するようにしましょう。
礼は、正当に用いれば自尊心に関して平等の関係を作って維持する効果を発揮します。よって、役に立たない礼は改め、
必要なら新たに作りだして役立てましょう。礼は自尊心を正当の範囲内に収める(平等化する)ための制御法の一つです。
挨拶の目的は「共同体意識の確認」です。挨拶は、相手の存在を無視せず認めることで尊重(尊厳を重んじる)する効果があります。
「頂きます」については、昔は神仏(荒神様・こうじんさま、災いをもたらす神)に(畏怖から)感謝するものだったらしく、
「御馳走様」については、他者へのねぎらいを表わしていたらしいです。現代では宗教によらず、
どちらも生産者・食材調達者・調理者などの「労力を使ってくれた提供者への感謝」を表現するためのものとして扱うようにしましょう。
「礼煩わしければ則ち乱る(込み入りすぎると返って乱れて守られなくなるため、なるべく簡素なものにする)」
この点は倫理や法律も同じで、習得・理解のための労力を最小に抑えます。
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