本末転倒の法治主義を廃して規則の基準を正不当にします。
これまで表向きに法を支えてきた(根拠とされてきた)のは道徳(慣習)や復讐心や同情心などですが、
支配欲や権威主義によって形骸化されているものも多くあります。
法律に限らず規則(約束事、決め事)を設けたり改めたりする基準を正不当にし、正当化します。
法律に不備があるから私刑及び社会的制裁に頼る羽目になってしまいます。
法律しか内面を制御するものが無いと、不当法に対処不可能です。
法治主義に囚われると、裁きに従って毒を呑んで死んだソクラテスのようになってしまいます。
(日本では、二次大戦後に非合法の食料を食べずに餓死した裁判官が居られたらしいです)
どんな場合でも(不当であっても)法律を守らせようとする法治主義は不当規範です。
不当法を改善する義務を果たさず放置しておいて、「法治国家だから法律には従え」と言うのは不当です。
これまでの法(悪法⇔良法)から、更に「正当法⇔不当法」の考えを取り入れます。
ただ、不当法ではあっても一時的に従うのが正当という状況も有り得ます。
法解釈について、法自体が不当でなくとも、曲解して不当法と同様に扱われないように言葉の定義を明示しておく必要があります。
法治主義の対義語は無政府主義です。国家は法で規定するものだからです。
無政府主義(アナーキズム)は、他者を支配する自由によって多くの人の自由が失われる考え方です。犯罪への対処が困難になります。
各自で武装すると、社会不安が高まります。個人の武装を禁じるならば、軍隊と警察を正当に機能させるのが条件です。
国家を解体して無政府状態にするのは不当です。勢力均衡のために経済や軍備などを擁した運営単位が要ります。
夜警国家(自由主義に近い運営)・新(修正)自由主義・小さな政府
⇔福祉国家(行政国家)・統制国家
どちらか一辺倒(極端)ではなく、個別に部分部分で使い分けるようにします。その基準は正不当です。
福祉・個々人に幸福で安定した生活環境をもたらすための仕組み
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