2-09 平等

平等という処遇


平等と不平等を、同等と不同等とは区別します。


等しい・別物同士の内で数量が同じであること

均等・三つ以上のもの同士で等しい

同等・等級や程度が等しいこと⇔不同等




贔屓(ひいき)とは、不当なまでに優遇(優先厚遇)することです。

差別(さべつ)とは、不当なまでに冷遇することです。差別も区別の内です。

不平等とは、人への不当な処遇です。

平等・人への正当な処遇・正当な序列の関係・人間関係の正当を阻み妨げる要素が見出されない

それぞれの関係は「平等⇔不平等(差別⇔贔屓)」です。


例、同じことをしたのに、有名度や出身の違いだけで優遇されたり冷遇されたりするのは不平等です。

功労者を評価せず、そうでない者と同等の扱いしかしないままなのは不平等です。

公共への貢献度が高いが役目を果たすのが困難な役職に薄給では不平等です。


自分を含めた全ての人間を平等(再定義後)に扱うようにしましょう。


自分より弱い相手になら何をやっても大丈夫、というわけではありません。虐げるよりも協力した方が自分にとっても利益になる相手を 虐げると、自分にとっても危害です。そして、虐げつつ利用するよりも平等な関係である方が利益を得やすいです。 力関係が逆転した時に虐げられる危険も減ります。 逆に、そのままでは協力関係を築けない(知性がない)相手には、場合によっては力で対抗するしかありません。


全ての人を同等に扱う(格差を無くす)のは不可能です。個々人の特徴を活かして専門化した方が有利です。 現実には個々人の差異の全てを無くすのはどうやっても不可能で、不可能なものを目指そうとするのは方向を見失ってしまい危険です。 不可能な理由は、現時点で個々人に差異があり、そのことはもう変えようが無いためです。 或ることを同等に近付けようとする働きかけは、その或ることとは別の不同等を生み出します。 利害よりも同等を優先するのは不当です。 賞罰や福祉などの代替物で誰も(頑なな他害主義者を除きます)が利益を得る方向の同等に近付けていくことは実現可能です。


逆差別は「差別と贔屓の逆転」で、同じく不平等です。


正当な序列も見出せれば、不当な序列も見出せます。序列を認めないのは不当です。


並び立たない(競合する)ものについては過当競争・未当競争を防ぎ、正当に競争しやすい社会を造るようにしましょう。


弱者を優遇するだけでは向上心を削ぎ、いずれ弱者が強者に嫌われ、その仕組みは崩壊していきます。 実際には弱者の振りをした強者が利権に拠って支配することになります。弱者優遇は不当かつ形骸化していきます。


「悪平等とは、形式的な平等を重んじたために、かえって本質的(実質的)な平等が失われること。」と辞書にありますが、 悪平等という表現は分かりにくくて誤解を生みやすいため、特有の定義を設ける必要はありません。 代わりに「似非平等」とか「形骸平等」といった表現を用いましょう。 意図的なら、偽平等(わざと平等に見せ掛けた不平等)となります。


同等な不平等を目指すのではなく、同等か不同等かに関わらず平等にしましょう。能力や関心など適性によって役割を分けましょう。 運による差異は福祉(政治的に、税金で)で調整し、運以外(意思によるもの)では功罪に応じて賞罰で調整しましょう。


人同士には何かしら優劣の差があります。それらの違いの全てをを同等にして無くすのは不可能です。 優劣の差を殊更に強調して相手に劣等感を与えていじめるなどして不当に傷つけるのは、犯罪として処罰するのが正当です。 優れた者の能力を殺すよりも、劣った者の利益にもなるように活かしましょう。



2-08 自由2-10 法治主義
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