1-02 論理思考 |
区別とは、もの同士の違いに拠って区分けして別々に扱うこと 認めるとは、或る事を知ろうとして知ることです。 識とは、区別(判別)して分類することです。 認識とは、認めて分類する働きです。 認識と判別の限界について「認識不可能⇔認識可能」が成り立ち、 認識不可能な対象については「認識不可能」とするしかありません。 そしてそれは、認識を持つ存在全てに(誰であっても)当てはまります。 「全てのものを認識可能」というのが矛盾して実現不可能であるためです。 「判別可能⇔判別不可能」 本書で対義語関係を表すのに用いている「⇔」を細かく見ると、「←・→」となります。 中間点は、どちらであるか判別不可能であることを示します。 分かりやすいものも判別困難及び不可能なものもあります。 上記(認識限界)と同じように、「全てのものを判別可能」や「全てのものを判別不可能」は矛盾して成り立ちません。 確実性に限界があるからと言って、無分別(区別をつける能力が無い)には陥らないように注意します。 判別可能なものは多くあります。 矛盾していれば論ではなく、実在性(有り得るか否か)は有りません。 矛盾とは、同一の対象へ同じ属性の肯定と否定を適用していて両立せず、成立しないこと。 (反対属性を同一の対象に持たせて論理が成立しなくなったもの) 矛盾⇔無矛盾・論理が成立 矛盾の例は、「有るけど無い」「酸っぱくて酸っぱくない」などで、何か言っているようで何も言っていないのが矛盾です。 自分で決めたことを「それは違う」と言うことです。 矛盾は意味がある言葉ですが、矛盾に当てはまる対象は言葉ではなく、似非言葉です。 矛盾は、それを信じようとしている部分の理性を無くします。 完全・完璧・或る基準に過不足無く一致⇔不完全・有欠点 「璧」はきれいな宝玉のことです。 例、完全に同じ音に聞こえる 完全という言葉は他の属性に付加するもので、それ単独では不成立です。 肯定と否定も、何かしらの属性に付加する属性で、単体では役に立ちません。 「無知の知(ソクラテス)」は、知の限界を知れという戒めの言葉です。 全てを知るというのは、「知らないものも知る」となって矛盾します。 また、何かを知るということ自体が、感覚から取り入れた全ての情報から幾つかの情報を切捨てて得る「もの」であり、 そのもの以外については失念することになります。何かを知った時点で、それは一切合財のものではなくなります。 全知全能は矛盾して不成立です。誰にでも認識と能力には限界があります。 全て(のもの)を他の形容(一部のもの)で限定すると矛盾しますから、注意しましょう。 完璧(完全)主義について、完璧は基準の設定に拠って変わるため、主義としては価値が有りません。 正不当の基準で完璧という概念を用いましょう。 証明・証(成り立つ根拠)を説明 立証・証拠を示して事柄の真実を明らかにすること 反証(相手がこうではないかと考えていることを、否定するために示す証拠) ⇔準証(自分がこうではないかと考えていることを、肯定するために示す証拠) 証明(準証⇔反証) 悪魔の証明とは、「悪魔が実在しないと証明できていないが、かといって実在すると証明できても居ない」ということを、 「悪魔が実在しないと証明できない『から』実在する」と表現して実在するかのように思い込ませる、 詭弁(騙すための論理)の代表例です。実在するという証拠もありません。証明の完全性の否定は、反証の肯定とは限りません。 このことを抑えておけば、「完全な証明を相手に求め、それが不可能だと否定して自らの反証を認めさせようとする詭弁」に 対処可能となります。 「完全なものなどない・不完全だから役に立たない」をセットで使われると、「よって、全ては役に立たない」となってしまいます。 前後に論理のつながりはなく不成立です。個々の完全性には差があります。 主体・意思に拠る働きかけで他に影響を及ぼすもの 客体・主体から働きかけられるもの 対象・観点で属性を限定した個別の客体 見る・目に映る、視覚の反応 視る・視得る・精神を集中(注意、意識を注いで)して見る 観る・何かしらの意味を持たせて対象を認める 主観・主体からの観点⇔客観・客体的観点・客体からの観点を主体が想像及び推定した仮想的観点 単観⇔複観 主観というだけで誤っているとは限らず、客観というだけで正しいとは限りません。 偏見・先入観・先入主(先入主観)・あまり知らない対象への当て推量での印象や観点 余り知らないことに関わる前には調査しておき、事前調査が不可能な場合は、 偏見が実際と異なっていた場合は速やかに修正するように心掛けておきましょう。 価値観は人それぞれありますが「不当に人それぞれ」を許さないようにしましょう。 「善悪の基準は人それぞれで異なる」が現状ですが、基準を正不当に合わせるのが正当です。 倫理は個別(自分、他人、国籍、男性、女性、など)の相対観点での価値基準ではなく、 人間関係に関する価値について大概の価値基準を内に含め矛盾無く統合した絶対観点での価値基準です。 「アローの不可能性定理・個々人の価値基準が異なるので選良は不可能」とされていますが、 個々人の価値基準をまとめて捉えるのが正不当の絶対(再定義後)基準です。 誰かにとっては良いが他の誰かには悪いものを選ぶのではなく、正当を選びましょう。 価値相対主義とは、異なる個々の価値観の価値を同等と見なす考え方です。 何にでも「人それぞれ」を杓子定規に使おうとすることです。 矛盾して等価に扱えない主義があるため価値相対主義は不成立です。 また、価値相対主義とその他の主義を同等の価値とすると矛盾します。 価値相対主義は論理としての価値基準を混乱させて自他の利害調整を妨げる不当な詭弁です。 論理として成立していないから主義ではなく「価値相対似非主義」と改めます。 価値相対似非主義を用いる人は、自らの価値観を通すために、当人が通したい価値観以外を等価にして扱います。 知・或る存在に気付く⇔妄・或る存在に気付かない(他と区別できない)まま 怪しむ・不明なことを明らかにしようとする 試論→検証→考察→結論→以下は得たものを踏まえつつ繰り返す 認める→考える(疑う→迷う→決める・信じ始める)→信じる 信じる・対象への認識を安定させる(決めたままにする)⇔疑う・対象への認識を不安定にさせる 妄信・根拠なく信じる⇔疑心暗鬼・根拠なく疑う・猜疑 選ぶ・多くあるものの内から決めていこくと 択ぶ・決めたものを取る 考える・選ぼうとすること 決める・信じ始める 判断・認識を断じる 決断・行動までを決定 選択肢・選ぼうとする対象 不安・将来何か害を被るのではないかと思うことで不快 惑う・色々なことを思う 魔・人から分別を失わせるもの⇔慧・人に分別を与えるもの 迷う・選択途中で選択肢明確⇔困る・考えるが選択肢不明 啓く・思考循環から抜け出す⇔悩む・思考循環(思念の堂々巡り)に陥る、悩みは不安を伴う |
----------------------------------------------- 目次 |