1-01 言葉について |
定義とは、言葉の名前と意味を対応させて決めることです。 言葉は、様々な対象を区別して扱うために用いるものです。 目的を設定する方法は、多くの言葉を知ることです。目的の達成確率を上げる方法は、言葉を使って思考し、理論を構築して実行し、 検証から理論を再構築して実行を繰り返すことです。加えて、必要に応じて言葉も再定義・新造することです。 言葉の定義を、その都度変えたり、定めなかったり、矛盾させたり、人それぞれのままにしておいては、 思考にも議論にも役に立ちません。ですので、人間関係の利害調整について述べる倫理では、用語の定義を 一定の役立つものにします。 正義などの倫理に関する言葉は今のところ「人によって異なる」とされています。 そのため、これらの言葉を役立てることができないでいます。 それらの言葉の定義を改めても「こういう捉え方もある。」とその他の定義を持ち出されていつまで経っても定まりません。 この問題に終止符を打つには、明確な目的とそれに合わせた単一の基準によって、 矛盾させず充実(形式と実在との整合性を高めた)させた言語体系を造る必要があります。 言葉は変わっていくものですが、不当に変わっていくあるいは変えられていくのを放置せず、正当に変更あるいは維持します。 特に重要でもない雑談では厳密に定義を申し合わせておく必要はありませんが、 真剣に考える場合には定義を正確にして誤りや慢心を防ぎ、 真剣に話し合う場でも定義を正確にして齟齬(双方の認識の食い違い)や騙しや皮肉を防ぐようにします。 言葉の定義には、観念ではなく概念を用います。 観念とは、ある対象から想起する各人に個別の印象です。 概念とは、ある対象から想起する各人に個別の印象から、共通の性質を抜き出したものです。 例えば、「山」といえば各人が抱く印象はそれぞれ異なり、禿山だったり雪山だったりゴミの山だったりします。 他者と話し合う際に「私にとっては山とは雪に覆われているものだ」という拘りを捨てないで居ると、 多くの場合双方の認識に食い違い(齟齬)が生じます。ですので、 「山とは、周囲の地表に比べて高く盛り上がった地形」という合意の下で話し合うようにしましょう。 意味が不明確な言葉に利己他害の解釈を当てはめるのは不当です。言葉の混乱は思考判断や行動の混乱を招きます。 混乱させて論理を無効にしたら、単に強制力が上回っている方が利益を得ることになってしまいます。 そのことに慣れてしまうと、やがて屁理屈で誤魔化すことにも長けて行き、 形骸化した言葉で理性も段々と失われていきます。 全ての言葉は、嫌悪の印象(汚い、醜いなど)を抱いているものに例えたり皮肉ったりして、 他者に「不当に」劣等感を抱かせる目的に用いることが可能です。言葉狩りよりも、その用い方を規制するのが正当です。 呼称を規制すれば、その言葉に対応する意味にも気付けなくなり、言葉で認識及び対処可能な領域が狭まってしまいます。 ゲシュタルト崩壊・認知不協和・言葉の名前と意味の一体感が失われて違和感が有る状態 ⇔認知協和・言葉の名前と意味の一体感がある状態 ※言葉そのものの定義についても言及する予定ですが、準備中ですので、今しばらく お待ち願います。 循環論(Aの性質はBと同じ、Bの性質はAと同じ、のように説明になっていないこと)を 避けて正確に説明しようとすると、多くの言葉を要するため、時間が掛かっています。 |
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